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zoom RSS 『コードギアス』への道 谷口悟朗監督編

<<   作成日時 : 2006/07/18 10:38   >>

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第3回 制作進行の日々



――J.C.STAFFで制作進行としてスタートしたわけですが、どんな作品を担当されたんでしょうか。

谷口 最初に担当したのが、OVA『アーシアン』です。それまでは単なる視聴者だったし、専門の勉強なんかしていません。アニメの「ア」の字も知らないわけで、『アニメーションの作り方』という本を読みながら仕事をしていました。
 何も知らないで飛び込んだ私が、多くのスタッフと知り合うことができたのがこの作品です。監督の古川順康さんや、色彩設計の甲斐(当時は大貫)けい子さん。大貫健一さん、西井(正典)さん、つるやまおさむさんといった、南町奉行所(※1)の方々。山崎さんや大張さんと会ったのもこの時です。『アーシアン』は、結果、縁が深いタイトルになって、2作目(90年)では制作デスク、3作目(96年)は演出でクレジットされています。
 その頃はビデオアニメがたくさんリリースされていた時期だったので、いろいろ担当しました。『魔獣戦線』『風魔の小次郎』『エリアル 接触編/発動編』……。中でも印象的だったのは『押忍!!空手部』ですね。それまで知り合ったいろんな原画さんにお願いして大挙して参加してもらった作品なんですよ。『押忍!!空手部』とは絵柄のタイプが違う方たちだったんですが「一度ぐらい、こういう絵もいいじゃないですか」といって無理矢理お願いして(笑)。結果、クレジットはペンネームばかりになってしまったんですが(笑)。
 その頃、J.C.STAFFには制作進行がほとんどいなかったので、半年もしないうちに、企画中も含めて10作品ぐらいを一人で抱えるような状況でした。こうなるともう、頭の中はしっちゃかめっちゃかで……。まぁ、今にして思うと多くの案件をさばくよい訓練になったのかな(笑)。

――制作進行から演出にはなれそうだったんでしょうか?

谷口 それが、その望みはまったくかないそうにありませんでした。会社の体制もまだそんなに盤石という時期ではなかったので、人材を別の部署に回すことはできない。私も、会社を支えるために頑張ることだけで精一杯で。しかも、アニメーター出身ではない人間にチャンスは回ってこない。演出の先に監督というものを見据えていても、それ以前にスタートラインにすら立てないんですね。だから、それが悩みの種でした。当時「3年我慢しろ」と言われたんです。「3年我慢したら、プロデューサーにしてやるから」と。私はプロデューサーじゃなくて演出になりたいわけで(笑)。
 ただ誤解しないでほしいのですが、これは誰が悪いという話ではありません。私は進行として雇われたわけであって、別の職種にするというのは、あくまで会社の“サービス”なんです。当時のJ.C.にはその余力がなかったし、私には待つべき時間がなかった。それだけのことなんですね。それでお世話になりはしましたが、J.C.STAFFを辞めることにしたんです。J.C.で出会えた人たちには感謝しています。宮田さん、阿部さん、山田さん、池口さんにはいろいろと教わりましたし、西沢さんには何かと助けられました。
 そういえば、辞めるときにほぼ入れ違いに入社してきたのが今の松倉プロデューサーなんですよ。

――辞めた後のことは考えていたのでしょうか?

谷口 もうアニメは辞めようと思っていました。別の制作会社から来ないか、と誘われたんですが「制作デスクとして来てほしい」ということだったので、これも断りました。

※1 南町奉行所
山崎理が主宰するアニメ制作スタジオ。主な作品に『戦国奇譚妖刀伝』、『暗黒神伝承 武神』などがある。

(第4回に続く)

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